居士林について

居士林は円覚寺にある、在家修行者のための坐禅道場であります。居士林開単は昭和3年。大正時代に結団された済蔭団は、当時現在の居士林の場所にあった済蔭庵を根城として参禅していました。しかし失火により済蔭庵は焼失。ホームグラウンドを失った済蔭団員や、当時円覚寺に参禅していた学生たちが力を合わせて資金集めに奔走し、牛込にあった柳生徹心居士の剣道場の寄進を受け、現在地に移築して完成したものです。その後昭和30年代に大改修が加えられ現在に至っています。

 

現在居士林では、毎週土曜の午後に「土曜坐禅会」が開かれている他、土曜の夕方から日曜の朝にかけて「土日坐禅会」が開かれています。その他、夏季春季の学生大摂心もここで開催されます。

 

近年では学生が居士林を訪れる機会もめっきり減り、学生大摂心なのに学生の数は数えるほどしかいないという危機的な状況が続いています。

 

大正11年11月24日、済蔭団は、一般学生に寺への参禅の道を開くことを目的に結団されました。今こそ済蔭団はその真の面目を全うしなければなりません。

 

まずは我々円覚寺学生坐禅会が企画する学生接心に参加してみて下さい。足の痛さに泣き、接心に参加したことを後悔するかも知れませんが、接心が終わり居士林を後にするときには、きっとまたここに来ようという気持ちが心のどこかに湧いているはずです。

 

 

これが居士林だ

居士林前景。入る時は手前の竹の棒(結界)を外して入る。決してまたいではいけない。

 

右の板には「居士林」、左の板には「土日坐禅会」と書いてある。昔は「居士林」ではなく「学生居士林」と言った。現在でもあえてそう呼ぶ人もいる。

 

上の写真の扉をくぐると中庭とこの建物がある。左に見える窓の内部が坐禅をする場所。建物の内の右手には典座寮や知客寮などがある。

玄関。正面には老師による「慈 人に親切 己に辛切」の色紙。いつ来ても玄関は温かく迎えてくれる。

居士林規定(こじりんきじょう)。居士林で生活する上でのルールを定めたもの。今でも学生大摂心の初日に主事和尚様によって一部が拝読される。

円覚寺と居士林の間に不自然な空間がある。それもそのはず、昔はここに「學生」の文字が入っていた。ある時期に消されてしまったのだが、今でもよく見るとその痕跡が残っているのがわかる。

玄関入って右、知客寮(しかりょう)。客を「きゃく」や「かく」と読まず「か」と読むのは入声が消滅した唐宋音の特徴である。もっとも「しかつ」と読む場合もある。坐禅会参加者の記帳をしたりする場所で一種の応接間である。学生接心時には学生幹事の控室になる。柱時計の音がうるさいので寝るにはあまり適さない。

左に見えるのは古川堯道老師による「如救頭燃」の額。

玄関入って左、旦過寮(たんがりょう)。わずか2畳の狭い部屋。僧堂にならって名づけられたものか。今は居士林によく来る人が自分の着物などを置いておく部屋になっている。

外単(がいたん)より堂内をのぞむ。上は朝比奈別峰老師による「宜黙(ぎもく)」の額。向かって右の畳を直日単(じきじつたん)、真ん中を中単(なかたん)、左を単頭単(たんとうたん)と呼ぶ。

堂内。正面の仏壇には不動明王が祭られている。その下の物置には開板(かいはん)や警策、昔の学生坐禅会のポスターなどが入っている。

堂内。入口に掛けてあるのは栽松軒老師による「如救頭燃(ずねんをはらうがごとく)」の額。その右は居士林の前身である剣道場の所有者であられた柳生徹心居士のお写真。左右のカーテンの中には柏布団が入っている。

 

かしわ布団。歴代の先輩方の汗と涙が染み込んでいる。

侍者寮。侍者が寝る部屋。学生接心中は学生幹事の控え室でもある。提唱台や講本(提唱のテキスト)、押入れには毛布、タオルケットなどが置いてある。

侍者寮から堂内を望む。居士たちは室外に見えるつい立の右側で着替えをする。

典座寮(てんぞりょう)。昔はこの部屋は無くて知客寮から先は縁側であったらしい。いわば居士林の台所。典座寮の勝手が分からないようでは済蔭団員とは言えない。

カマド。右から粥・麦飯用、摂心汁器用、お湯用。

井戸端。今どき珍しいポンプ式の井戸。地下水はあたたかい。

禅子寮(ぜんこりょう)。女性が寝る建物。我々は学生接心の準備の時くらいしか中に入れない。いろいろなものが置いてあって面白い。

居士林の幹事の名札を掛ける場所。時代にそぐわなくなったせいだろうか、今は誰の名札も掛かっていない。学生接心の時は学生幹事の名札が掛けられる。

東司(とうす)。トイレのこと。東司掃除は助香の仕事である。スリッパ、便器の使用順序にも実はローカルルールがある。